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【Well-Kaigo】介護は誰のものか?

【末尾に中国語、タイ語、英語の翻訳文を挿入しております】
文末附有中文、泰文和英文翻译
ส่วนท้ายมีการแปลเป็นภาษาจีน ภาษาไทย และภาษาอังกฤษ
Translations in Chinese, Thai, and English are provided at the end.

介護は誰のものか?~“支える側・支えられる側”を超えて考える~

ウエル・エイジング・アワーをお届けしています、小川利久です。
今回は、「介護は誰のものか?」というテーマで、改めて田村武晴さんと一緒に私たちの原点を見つめ直してみたいと思います。

ウエルエイジング・アワー対談版
(対談者)田村武晴/日本ウエルエージング協会理事・おうちデイ新聞発行責任者

「ノーマライゼーション」の理念から始まった


私が初めて勤めた社会福祉法人では、「ノーマライゼーション」という理念を掲げていました。
障がいがあっても、高齢になっても、当たり前に地域で暮らせる社会を目指すという考え方です。
その実現のための行動指針として、「人権を守ること」と「共同運営」が掲げられていたのです。

当時の私は民間企業出身で、「共同運営」とは何か、正直ピンときていませんでした。
しかし、月日が経つにつれ、この「共同運営」の本当の価値を感じるようになりました。

家族会と共同運営の仕組み
その法人では、利用者のご家族で構成される「家族会」がありました。
しかも、家族会の会長が法人の理事や評議員として経営に関わる仕組みが整っていたのです。
地域住民や専門職、弁護士といった多様な人材が理事会に参加しており、
「施設運営は、利用者家族や地域とともに行うもの」というスタイルが徹底されていました。

お祭りや年末年始の行事、介護保険制度の改正といった大きな変更も、
家族会と協議して進めていく。それが「共同運営」でした。

「お客様」としての家族を超えて
民間企業において、「お客様と共同運営する」という発想はあまり一般的ではありません。
サービスを提供する側と受ける側は明確に分かれ、「お金を払うから当然」と考える風潮もあります。
しかし介護の現場では、それだけでは立ち行かない現実があります。

「家族が支える」とは聞こえは良いですが、全てを家族だけで背負うのは難しい。
だからこそ、専門職、事業者、地域、行政とチームを組んでいく必要があります。

それを“共同運営”と呼ぶなら、それは未来の介護のあり方ではないでしょうか。

「選ぶ介護」への転換とその意味
日本の介護は、かつての「措置制度」から「介護保険制度」へと変わりました。
「与えられる介護」から「選ぶ介護」への転換は、制度的にも精神的にも大きな変化です。
選ぶということは、利用者や家族も「一緒に担う」立場になるということです。

ただし、選ぶには「選択肢」が必要です。制度が整っていない国や地域では、
介護を全て家族が担わざるを得ない現実があります。自己負担が100%という国もあります。
その違いを知ったうえで、「介護は家族の責任か、社会の責任か」という問いに向き合いたいのです。

理念に立ち返る介護
介護の現場では、想定外のことがたくさん起こります。
田村さんの経験談ですが、ある日は、迎えに行ったおばあちゃんが玄関から走って逃げてしまったこともありました。
そんなとき、対応する職員やドライバーは、人間力を試される場面になります。

このような時、ただ契約書に記載してあればいいという話ではありません。
理念に立ち返ることが、最も大切になるのです。
「人権を守る」「共同運営を貫く」という思いが、現場を支える土台となるのです。

介護は“共の営み”


「介護は誰のものか?」
それは、家族だけのものでも、事業者だけのものでも、専門職だけのものでもありません。

介護とは、人が最後までその人らしく生ききるための“共の営み”であり、
本人、家族、地域、専門職がともに関わる“共創の現場”です。

だからこそ、私たちは「任せる介護」ではなく「ともにある介護」を目指していくべきなのです。

最後にもう一度、この言葉を贈りたいと思います。

介護は“誰かがやること”ではなく、“みんなで支え合うこと”。

これからも一緒に、介護の本質を考え、語り合っていきましょう。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

↓↓↓詳細はPodcastから「ながら聴取」をしてください。

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