
「あめゆじゆとてちてけんじや」
介護の教科書にもしたい宮沢賢治の作品
「永訣の朝」から学ぶいのちをおくる、つなぐということ
宮沢賢治、日本人のこころから看取り介護を考えます。
宮沢賢治の作品の多くは、日本人にとってとても親しみ深いものです。
私も若いころから何度も目にしてきましたが、最近になって改めて読み返すことで新しい発見や心の動きが感じられるようになりました。
特に、介護の現場で看取り介護に携わる今、この詩や彼の作品を再び考え直す機会を得ています。宮沢賢治が描いた人々の命の尊さやその終焉に込められた思いが、現代の私たちの社会や介護にどのように響くのかを考えることは、非常に意味深いと感じます。
賢治は、若くして37歳で亡くなりました。その短い生涯の中で、彼が描いた詩やものがたりの数々は、現代まで続く長い影響力を持っています。
彼の妹に向けた「永訣の朝」という作品は、妹の命の終わりに寄り添い、その心情を詩として表現したものです。当時の日本は寿命が短く、人々は日常の中で死と向き合うことが多かった時代でした。
このような背景の中で賢治の作品が生まれたことを思うと、私たちが生きる現代と何か通じるものがあると感じずにはいられません。
私たちは看取り介護において、いのちの終わりを迎える方々とその家族に寄り添います。
人が人生の最後を迎えるとき、その瞬間の心情や支えがいかに大切かを知っています。「永訣の朝」を通じて賢治が描いた妹への思いは、現代の見取りケアの現場での心の支えとも言えるでしょう。
いのちを終える人が最後に伝えたい言葉、残していきたい思いを私たちがどう受け止め、つなげていくのか。
それは一人ひとり異なるかもしれませんが、宮沢賢治が自然や宇宙と向き合い、広い視野でものがたりを見つめようとしたように、私たちもまた広い視野で介護を捉えるべきだと感じます。
介護の現場では、時に「もっとこうしてあげたかった」「最後にこうしてほしかった」といった家族の思いがあり、私たちもその声に耳を傾けながらケアを行っています。
こうした日常の中で、賢治の作品が示すような命の尊厳や繋がりを改めて学ぶことが、介護においても大切なのだと感じます。
賢治の物語が教科書に掲載され続けているのは、私たちにとって学びと感動を与える普遍的な価値があるからです。
これから、ここから
介護の現場でも、この教科書を読み解きながらいのちを支え、人々の最後の時間を大切にすることで、人生を豊かにする手助けができるのではないでしょうか。
そんな思いを胸に、これからもいのちと向き合っていきたいと思います。
今日も素敵な一日をお過ごしください。
(以下、中国語AI翻訳版)
宫泽贤治的许多作品对日本人来说是非常亲近的。
我自己从年轻时起就多次接触过这些作品,最近重新阅读它们时,感受到了一些新的发现和心灵的触动。
特别是现今我在护理的现场从事看护和临终关怀时,重新思考这些诗歌和他的作品,令人深感意义非凡。
贤治所描绘的人们的生命尊严及其终结中的情感,如何在当代社会和护理中回响,是一个值得深思的问题。
贤治在年仅37岁时便离世。在这短暂的一生中,他创作的诗歌和故事在现今依然产生深远的影响力。
他写给妹妹的《永诀之朝》一作,表现了他在妹妹生命的尽头陪伴在侧的心情,并将其情感化为诗歌展现出来。当时的日本,寿命普遍较短,人们在日常生活中往往需要面对死亡。思考在这样的背景下贤治的作品诞生,我不禁觉得与我们现代生活有着某种共鸣。
我们在看护护理中,伴随那些即将走到生命尽头的人们及其家人。
当一个人迎接人生的最后时刻时,那一瞬间的情感与陪伴是多么重要。通过《永诀之朝》中贤治对妹妹的情感描绘,亦成为当今临终护理中情感支持的力量。
如何去接纳、传承即将离世的人们最后想要传达的语言与思绪?
这可能因人而异,但正如宫泽贤治以自然与宇宙为背景,用广阔的视野来看待故事一般,我们也应以同样广阔的视野去理解和进行护理工作。
在护理的现场中,有时会听到家属说“我希望当时能为他多做些什么”“希望最后能以这样的方式送别”,我们也会倾听这些声音并将其融入我们的护理之中。
在这样的日常中,重新学习贤治作品中展现的生命尊严与连接的重要性,亦是我们护理中所必须珍视的事。
贤治的作品能够持续被收录于教科书中,是因为它们给我们带来了学习与感动的普世价值。
未来,从此处开始。
即使在护理的现场,我们也能够通过解读这本“教科书”,去支撑生命、珍惜人们的最后时光,从而帮助他们度过更加丰盈的人生。
怀着这样的心情,我希望继续面对生命,继续努力。
祝您度过美好的一天。
宮沢賢治「永訣の朝」
今日のうちに
遠くへ行ってしまった私のいもうとよ
みぞれが降って表は変に明るいのだ「あめゆじゆとてちてけんじや」
(雨雪を取って来て、ケンジや)薄赤くいっそう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょ降って来る「あめゆじゆとてちてけんじや」
(雨雪を取って来て、ケンジや)青いジュンサイの模様のついた
これらふたつの欠けた茶椀に
お前が食べるあの雪を取ろうとして
私は曲がった鉄砲玉のように
このくらいみぞれの中に飛び出した「あめゆじゆとてちてけんじや」
(雨雪を取って来て、ケンジや)蒼鉛色(薄暗い赤色)の暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくるああ、とし子
死ぬと言う今頃になって
私を一生明るくするために
こんなにさっぱりした雪の一椀を
お前は私に頼んだのだありがとう私の健気な妹よ
私もまっすぐに進んでいくから
「あめゆじゆとてちてけんじや」
(雨雪を取って来て、ケンジや)激しい激しい熱やあえぎの間から
お前は私に頼んだのだ
銀河や太陽 危険などと呼ばれた世界の
そこから落ちた雪の最後の一椀をひと切れのみかげ石材に
みぞれはさびしくたまっている
私はそう上に危なく立ち雪と水の真っ白な二相系を保ち
透き通る冷たい雫に満ちた
このつややかな松の枝から
私の優しい妹の
最後の食べ物をもらっていこう私たちが一緒に育ってきた間に
見慣れた茶椀のこの藍の模様にも
もう今日お前は別れてしまう「Ora Orade Shitori egumo」
(私は1人であの世へ行きます)本当に今日お前は別れてしまう
あぁあの時閉ざされた病室の
暗い屏風や蚊帳なかに
優しく青白く燃えている
私の健気な妹よ
この雪はどこを選ぼうにも
あんまりどこも真っ白なのだ
この美しい雪が来たのだ「うまれでくるたて
(また生まれて来るとしても、)こんどはこたにわりやのごとばかりで
(今度はこんなに自分のことばかりで)
くるしまなあようにうまれてくる
(苦しまないように生きていきます)」お前が食べるこの二椀の雪に
私は今ここから祈る
どうかこれが天上のアイスクリームに変わって
やがてお前とみんなとに
聖い資糧をもたらすことを私の全ての幸いをかけて願う
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