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【尊厳Well-Kaigo】恥をかかせない介護の覚悟

【末尾に英語、中国語、タイ語の翻訳文を挿入しております】
文末附有中文、泰文和英文翻译
ส่วนท้ายมีการแปลเป็นภาษาจีน ภาษาไทย และภาษาอังกฤษ
Translations in Chinese, Thai, and English are provided at the end.

「恥」と「恥ずかしさ」の違いを理解することから始まる

ウエルエイジング・アワー対談版
(対談者)田村武晴/日本ウエルエージング協会理事・おうちデイ新聞発行責任者

「恥」と「恥ずかしい」は同じではありません
みなさんは、「恥」と「恥ずかしい」の違いを意識したことがありますか?
一見、同じような言葉に思えますが、介護の現場では、この二つの違いを正確に理解することがとても大切です。

「恥ずかしい」は、日常的な感情のひとつです。
たとえば、人前で転んでしまったとき、思わず赤面してしまうような場面。
それは一時的な気まずさや、人の目を気にする気持ちが生む「恥ずかしさ」です。自分の行動や外見がどう見られているかに反応して、照れたり、慌てたりする感情といえます。

一方で「恥」はもっと深い、人間の尊厳に関わる感覚です。倫理や人格、道徳の根幹に触れるような、「自分が人間として認められていない」と感じるような傷つきです。

介護現場における「恥」とは?


介護の現場では、「恥ずかしい」と感じる場面に数多く遭遇します。たとえば、着替えの介助、入浴介助、排泄のサポート…。とくに高齢者にとって、自分の裸を他人に見られることや、おむつを交換してもらうことは、決して慣れることのない「恥ずかしさ」を伴う経験かもしれません。

しかし、そこに潜んでいるのは単なる「照れ」だけではありません。「こんな姿を見せたくなかった」「自分が自分でなくなっていくようだ」という深い悲しみや、自尊心の揺らぎ。つまり「恥」なのです。

私たち介護に関わる者が本当に配慮すべきなのは、この「恥」を感じさせないようにすること。人としての尊厳が守られていると感じられるように、心を尽くすことが求められます。

「恥をかかせない介護」の覚悟
尊厳を守る介護とは、単に身体的なお世話をすることではありません。たとえば、プライバシーへの配慮、声のかけ方、介助時の目線の高さや触れ方…。そのすべてが、「恥をかかせない介護」に直結します。

声が大きすぎたり、無意識に子ども扱いするような言動をしてしまうと、利用者の心には深い傷が残ってしまいます。逆に、きちんと目を見て、ゆっくりと尊重する姿勢で接することで、「ここにいていいんだ」と感じていただけるのです。

つまり、尊厳介護とは「その人の人間らしさを支える技術」であり、同時に「心の細やかさ」でもあります。どれだけ忙しい現場であっても、「恥をかかせない」ことを常に心がける。その覚悟が、介護者としての質を決めるのです。

恥を感じる心に耳を澄ます
最近では、「効率」や「コスト」の話題が先行しがちな介護業界ですが、どんなに便利なICTやロボットが導入されても、「恥を感じる心」に寄り添うことは、人にしかできない役割です。

たとえば、介護ロボットが排泄介護をしてくれる時代が来たとしても、「どう見られるか」「どう扱われるか」を気にする気持ちは変わりません。
だからこそ、技術と心のバランスが必要であり、「心を聴く介護」が大切なのです。

これから、ここから
尊厳介護のはじまりは、「恥をかかせない」と決めることです。
そしてそれは、介護のすべてのプロセスにおいて「人間らしさを守る」意識を持つことでもあります。

私たちは、これからの介護において、「恥ずかしさ」だけではなく、「恥」という深い心の痛みにも目を向けていく必要があります。

恥をかかせない介護。
それは、技術だけではなく、心のあり方に根ざした「覚悟」です。これから、ここから。
私たちの介護の姿勢を問い直し、尊厳ある介護を実践していきましょう。

↓↓↓詳細はPodcastから「ながら聴取」をしてください。

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