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【尊厳Well-Kaigo】老人の歴史から見えてきた大切なこと


― 生産性社会を超えて、「経験の価値」へ ―

朝のウォーキングと「思考の整理」
おはようございます。利久です。
今日は「老人の歴史から見えてきた大切なこと」というテーマでお話しします。いつもは隅田川沿いを歩きながら配信していますが、今日は少し肌寒い朝。インドアから「ウエルエイジング・アワー」をお届けします。

ウォーキングは私にとって、心と頭を整える大切な時間です。前半はYouTubeなどから情報をインプットし、後半は頭の中を整理しながらアウトプットする時間にしています。歩きながらAIと対話し、自分の考えを深めていく。そうして毎朝のウォーキングが終わる頃には、ひとつの企画や構想が自然と形になっているのです。

その内容を「ウエルエイジング・センター」のブログにまとめ、中国のWeChatやFacebook、YouTubeなどへ翻訳・発信しています。少しずつ多くの方に届き、そこから新しいつながりが生まれ始めています。これはまさに“歩くことで思考を動かす”という、私なりのウェルエイジングの実践です。

「老人の歴史」という一冊との出会い
さて、今日のテーマ「老人の歴史」は、実はそのままのタイトルを持つ本があります。
『老人の歴史』(東洋書林、著:パット・セイン、訳:下安仁)。約450ページにわたって、人類史の中で「老い」がどのように捉えられてきたかを描いた大作です。

この本を読んで改めて気づいたのは、「どんな時代にも老人はいた」という当たり前の事実です。そして、かつて老人は“尊敬される存在”でした。長い経験をもち、家族や共同体を導く「賢者」として、社会にとって欠かせない人だったのです。

日本で言えば「隠居」という言葉があります。現役を退いた後も、家族や地域を支える相談役のような存在でした。男女を問わず、年長者の言葉には重みがあり、そこに敬意がありました。

尊敬から“邪魔者”へ:転換の始まり
しかし、いつから高齢者が“邪魔者扱い”されるようになったのでしょうか。
それは日本で言えば、高度経済成長期の頃だと言われています。

1950年代後半、「もはや戦後ではない」という言葉が象徴するように、日本は経済中心の社会へと大きく舵を切りました。人の価値を測る基準が「働けるか」「生産性があるか」という尺度に変わっていったのです。

その結果、体力の衰えた高齢者は“生産性がない人”として、社会の周縁に追いやられていきました。街の中心から離れた場所に「養老院」や「老人ホーム」が作られ、老いは社会から切り離される存在となってしまったのです。

美しさと老い ― シワに刻まれる尊厳
現代でも「若さ=美しさ」という価値観が根強くあります。
化粧品メーカーは“美肌”を追求し、若く見せることを価値としてきました。しかし、本当の美しさとは何でしょうか。

赤ちゃんの肌は確かに透き通るように美しいですが、同時にとても弱いものです。
一方で、長い人生を生きて刻まれたシワには、深みと強さがあります。そのシワこそが、苦楽を乗り越えた証であり、人間としての尊厳の刻印だと思うのです。

「老いること=衰えること」ではなく、「老いること=深まること」と捉える。その視点を取り戻すことが、これからのウェルエイジング社会に欠かせない考え方だと感じています。

現代の課題 ― 「生産性」から「経験値」へ
日本は今、世界でも稀に見る超高齢社会です。
65歳以上の人口は全体の約30%に迫り、75歳以上の“後期高齢者”も増え続けています。身体的にはできないことが増える一方で、「判断力」や「経験知」といった新しい価値が生まれる時代に来ています。

AIやICTの発展により、情報を得るスピードは格段に上がりました。しかし、最終的に“判断”するのは人間です。AIが整理してくれる情報をもとに、「次にどう進むか」を決めるのは、やはり経験を積んだ人の役割です。

高齢者こそ、過去を知り、未来を見据える力を持っています。その知恵を社会にどう活かすか。これが「尊厳ある老い(Well-Aging)」と「尊厳ある介護(Well-Kaigo)」の原点です。

老人ホームを「AI共創センター」に
もし今ある老人ホームが、単なる「入居施設」ではなく、知恵と経験を活かす拠点になったらどうでしょうか。私は、それを「AI共創センター」と呼びたいと思っています。

高齢者がAIと共に学び、判断し、社会に提案していく。身体が思うように動かなくても、思考や判断力で貢献できる場所。それが新しい時代の「高齢者の働く場」だと考えています。

生産性を“手の動き”から“思考の動き”へと変える。
それは、人間の本質的な価値を取り戻すことにつながるのではないでしょうか。

老人の歴史が教えてくれる未来へのヒント


「老人の歴史」は、人間社会の価値の移り変わりを映す鏡です。
かつて尊敬されていた老いが、経済社会の中で忘れられ、そして今、再び見直されようとしています。

私たちは再び、老いを“尊厳の象徴”として位置づけ直す必要があります。
生産性ではなく、知恵と経験による「精神的な生産」。それこそがウェルエイジング時代の新しい価値観だと、私は考えています。

これから、ここから
これからの社会では、AIと人間が共に創る「共創の時代」がやってきます。
高齢者は、その中心に立つ“知恵の担い手”であり続けてほしい。

老人の歴史を学ぶことは、未来を形づくる第一歩です。
そして私たち「ウエルエイジング・センター」は、その思想をアジアへ、世界へと広げていきます。

ご質問は本サイトの「お問い合わせ欄」からお気軽にお寄せください。

↓↓↓詳細は音声配信Podcastから「ながら聴取」をしてください。

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